ごあいさつ
藤田株式会社 代表取締役社⾧ 藤田 勲 (内閣官房地域活性化伝道師)
私は、創業以来55年余り【郷土愛を大切にしたい 社員一丸となって郷土に奉仕】を企業思念として取り組んでまいりました。熊本県球磨郡免田町(現あさぎり町)に五人兄弟の次男として生を受け、15歳の時名古屋市港区の養鶏場で2年半ほど経験を積み、帰郷し、熊本で養鶏会社での勤務を通じてさらにノウハウを習得し、21歳で実家の一部を改装し「藤田精肉店」を創業致しました。子どものころからの夢である「社長か町長になること」の実現のため徐々に規模を大きくして球磨食肉センターを経営しましたが、その球磨食肉センターを人に譲って、スーパーマーケット業界にも参入し、郷土の皆様の生活向上につながることを願ってスーパーマーケット、書店を球磨・人吉の各地域に展開し事業を拡大、球磨食肉センター時代に培った人脈でテナントを誘致し、熊本県下で初、球磨・人吉地域で最大の「サンロードシティ錦町」375,914㎡05(108,269坪)の「商業複合施設」を 平成5年5月28日にオープン致しました。開発に10年をかけて山々を切り開くことから始まり、新城または新城原と呼ばれ、球磨・人吉を治めてきた相良藩主の居城であった人吉城の東南を守る外城が設けられていたこの地に夢の実現に向け、20年計画を組み山の上の祠(ほこら)を整備し『神城』お城を復元し、小高い山を丸ごと使った歴史と文化の森「神城文化の森」を開発、さらに熊本市東町にショッピングセンター「サンロードシティ熊本」を展開、夢をあきらめかけたこともありましたが、信条とする「忍耐」の精神で乗り越えてきました。
「生まれ育ったふるさとは、誰の心にも常にあるもの」身体はどれだけ遠い場所にあっても、心はいつもふるさとと、ともにあり「一生のうちに何かを遺したい、ふるさとに社会貢献したい」の強い思いを軸に地域社会への奉仕の精神と出会いを大切にしながら様々な困難を乗り越え、会社の財産を費やし、55年前に地元で精肉店を開業してから寝る間も惜しんで事業に打ち込み一歩一歩階段を上り、ふるさとへの恩返しに取り組んで参りました。企業家 藤田 勲として、昭和 41年 2月に藤田精肉店を創業以来、大型複合施設「サンロードシティ錦」の開発を経て藤田株式会社まで 15社の会社を経営してきました。55年の月日の中、昭和60年5月4日ご来社の日本ハム 大社社長(当時) その後、イオン創業の岡田会長、小島千鶴子様、イエローハット創業の鍵山相談役を初め、多くの創業者や企業家の方々と交流を深めました。交流の中、様々な地域や環境への保護、貢献をしてきましが、現在、【日本の木の文化】【美しい村 球磨人吉の自然・文化の継承】を地域への恩返しとの思いから<人吉神城文化の森>の観光複合施設建設を進めてきました。<人吉神城文化の森>が“美しい村 球磨人吉”のシンボル(象徴)として、“自然の大切さ”“日本の木の文化”を守り、次世代へ継承する事がこれからの集大成の取組みになります。
会社名 神城文化の森 藤田株式会社
住所 〒 868-0303 熊本県球磨郡錦町字西大字大谷 742-52
電話番号 0966-26-5277
FAX 0966-38-3845
メールアドレス info@shinjyou.jp
代表取締役社長 藤田 勲
生年月日 昭和19年7月2日 血液型 O型 家族3人
熊本地震復興支援 東日本大地震復興支援 屋久杉・市房杉 希木天地ブランド
熊本県下で初めて平成22年4月に森林セラピー基地として認定され、 昭和43年には皇居の資材として使用された市房杉樹齢1000年が自生している 熊本県水上村の市房山。市房山市房杉は、樹齢800年から1000年ともいわれ、美しい緻密な木目が特徴の貴重な銘木です。その稀少価値はますます高まっており、屋久杉に匹敵するぐらい貴重なものと言われています。屋久杉同様、厳しい保護規制に守られており、国立公園のため台風被害などの被害木以外は伐採禁止となっております。
人吉神城文化の森 藤田勲が叔父にあたります平冨欽哉の義父である地元の
湯前町 杉高級材 専門工場(柱、造作材)
鳥居木材(有)代表取締役 鳥居博 様
鳥居様は夫婦杉、女杉1本7150万円にて落札 藤田勲も樹齢1000年の市房杉を平成13年5月17日に1本 を2750万円にて落札。(これまでで市房杉2本を落札。合計で市房杉は3本の落札となりました。 平成25年1月10日、上球磨森林組合の「市房山神宮ケヤキ特別入札会」では、樹齢588年生1本全量とアスナロ樹齢500年を590万8000円で落札しました。)同じように市房杉を落札したのがなんと、鳥居博 様と最近になり判明しました。
地球環境を一心に考えており、木の素晴らしさを全国、世界に発信している藤田勲としましては、親戚にあたる鳥居様と同じように、昔のより良い地球環境の中で樹齢800年から1000年ともいわれた、市房杉、夫婦杉を落札できたのは、大変驚きで、親族、球磨人吉からの後押しにもなりますます身が引き締まる思いです。
現在、地球環境はもとより、人の心にも余裕がなくなり大変な時代だと感じています。
約1000年もの間、市房山という森林セラピー基地に根をおろし雄大に育まれた市房杉。その力強さは人智を超えています。今の時代に求められているのは、その自然に力をもらい、人間も自然の一部と感じ、生きていくことの大切さかと思います。木目を見てもその緻密さは感動を覚え、日々成長することの大事さも教えてくれます。
藤田勲はこの市房杉をはじめ、弊社の数々の銘木の素晴らしさを日本全国、世界の皆様へ教材として見ていただけるように考えております。
会社概要
相良810年歴史資料館、人吉神城(お城)大正・昭和レトロ、アンティークヨーロッパ、日本文化のポスター
【日本の文化に洋の文化を取り入れた和と洋調和の生活の歴史】
【日本の伝統的な美徳や文化】を世界に発信して行きます。
神城文化の森に開発当時から長年住みついていたフクロウが弊社屋久杉記念館に現れた為、
神城文化の森のリニューアルオープンを機に人吉神城文化の森と改称することに致しました。
会社名 | 藤田株式会社 |
代表取締役社長 | 藤田 勲 |
住所 | 〒 868-0303 熊本県球磨郡錦町字西大字大谷742-52 |
電話番号 | 0966-26-5277 |
FAX | 0966-38-3845 |
メールアドレス | info@shinjyou.jp |
人吉神城文化の森 屋久杉記念館に”ふくろう”がやってきました!
日本も含め世界各国でもふくろうはご利益があると言われ、また森の神様と言われている地域もあるようです。藤田勲が昭和58年11月サンロードシティ開発の為、最初に土地を購入してから今までに2回ふくろうを見ており、平成30年7月6日の今回、藤田勲にとって3度目のふくろうとなります。
ふくろうが夜行性であるのは、タカやワシなど昼に獲物を狩る猛禽類との競合を避けるためだそうです。
そのためか、よく夜に屋久杉記念館の周りや、屋久杉記念館内に入り羽休みをしているようです(朝よくフンが見つかります)藤田勲と同じく屋久杉のすばらしい甘い香りが好きで屋久杉記念館に遊びに来るのではないかと言われます。
地域活性化の原点である環境保全活動に力を入れ、
『豊かな自然環境と木の文化』を守り次世代に引き継ぐ事が重要と考えています。
今、私たち自らの手でできる環境活動を積極的に行い、その重要性を発信していきます。
将来の為に人材育成と国際交流による発展と社会貢献を目指します。
沿革 | 平成22年 9月28日:一般財団法人 神城文化の森 藤田財団 設立 平成23年 2月19日:「日本、木の文化と地域づくり委員会」発足 平成23年 7月 1日:「がんばろう!日本 鬼復興祈念プロジェクト実行委員会」発足 |
会長:藤田 勲 -Fujita isao-
生年月日 昭和19年7月2日 血液型O型 家族3人
私の価値観の原点
私の子供の頃の夢は「社長か町長になる」ことでした。戦後10 年も経たない時代のことです。子どものころの遊び場だったレンゲ畑、夜の星空やホタルなど、自然に囲まれた環境で生まれ育った私にとって、故郷とは“死ぬまで生活するもの”だと思って地元に帰ってきたわけです。
熊本県の球磨・人吉地方の人々は貧しくつつましい生活を送っていました。 私の家も現金収入が乏しく、両親が農業や林業で収入を得ていましたが、林業の山道工事など土木や建設が地域を潤すことを肌で実感していました。家では鶏の一種であるチャボや他のいろいろな鳥を飼っていました。業者の人が買いに来ると、単純に鳥を売るだけでなく、業者の持っているヒヨコや食鳥の鶏と交換などしていました。後年、私が事業家となったとき、幼馴染が「勲ちゃんは子供のときから商売していたね」と懐かしそうに語ってくれました。中学卒業と同時に名古屋の養鶏場に就職しました。進学という選択肢はありませんでした。養鶏場の経営者夫婦が私の志を知って、「貯金をしなさい」と強く戒めてくれました。月給5 千円を毎月、すべて郵便局に貯金して2 年間の生活で蓄えができました。私は経営者夫婦を“名古屋の両親”と懐かしく思いますが、郷土に帰って地域に貢献するという夢がブレることはありませんでした。
藤田勲は療養中のため寝室にて撮影をさせていただきました。
原口博光 様よりメッセージをいただきました。ありがとうございます。
「6月17、18日、藤田社長様には歩行困難につき療養中の所、大変お世話になり恐縮しております。
温泉旅館もご招待いただき、衷心より感謝申し上げます。
入室した途端、天然の木の香りに抱かれ、癒しと安らぎに包まれました。
この部屋の写真を撮れなかった事が大変悔やまれます。」
一般社団法人 木の総合文化・ウッドレガシー推進協議会
会長 原口博光
木材産業要望活動団体 代表幹事
日新興産株式会社 代表取締役社長
内閣官房地域活性化統合事務局長(当時) 和泉洋人様より
地域活性化伝道師の拝命をいただきました
地域活性化伝道師拝命
「生まれ育ったふるさとは、誰の心にも常にあるもの」身体はどれだけ遠い場所にあっても心はいつもふるさとと、ともにあり「一生のうちに何かを遺したい、ふるさとに社会貢献したい」の強い思いを軸に地域社会への奉仕の精神と出会いを大切にしながら様々な困難を乗り越え、会社の財産を費やし、 48年前に地元で精肉店を開業してから寝る間も惜しんで事業に打ち込み一歩一歩階段を上り、ふるさとへの恩返しとして町づくり、地域づくりに取り組んでいたことで、内閣官房より平成22年10月9日に「地域活性化伝道師」の拝命を受けました。
「地域活性化伝道師」派遣制度とは、地域活性化に向け意欲的な取組を行おうとする地域に対して、地域興しのスペシャリスト(地域活性化伝道師)を紹介し指導・助言などを行うものです。
藤田勲と内閣官房 高村参事官(当時)
藤田学校建設とオートキャンプ場等の整備
藤田学校の建設には、総敷地面積5000坪が必要です。
5000坪の敷地には、建物2000坪の銘木などを所蔵するメイン施設の「藤田学校」と300坪の敷地に建造する研修施設を建設予定です。どちらも木造建築をベースに木をふんだんに使用した建物になります。
メイン施設、研修施設ともに、子どもから大人まで「木の文化」を体験できる施設を目指します。
大学、高校、社会人などのインターシップや小中学校の課外授業なども受け入れられるように博物、展示の教材を充実させます。
オートキャンプ場は、7541m(2341坪)の敷地を予定しています。(現在、造成中)
また、オートキャンプ場の奥の元 岡村梨園跡地の奥(隣)の錦町土地に藤田学校の建設を予定。
この予定地からは、市房山、白髪岳、権現谷、大谷渓谷を望め、上球磨地域を一望できる場所です。
残りの3000坪の敷地には、『オートキャンプ場』や様々なイベント開催のできる
『自然を五感で感じられる広場』を建設します。
球磨人吉から日本の伝統文化「木の文化」を次世代に継承し、世界に発信
日本は、国土の67%が森林に覆われた世界有数の森林国です。日本には、四季があり、木に咲く花や新緑、紅葉、樹氷など季節ごとに愛でる文化があります。また、古来より住宅や建物、箪笥、棚、欄間などの建具や農工具などの道具など、生活の傍らには“木”が常にありました。
しかし、海外文化が流入し、生活様式が古来から変わった現代、“木”に関わる林業や木工業の産業が衰退してきました。これは、日本独自の文化が衰退することと同じです。
日本の伝統文化“木の文化”を次世代に残す事が、現代に生きる私たちの使命ではないでしょうか。
わたくし藤田勲は、企業経営の傍ら日本の伝統文化“日本の木の文化”を微力ながら次世代に継承することをライフワークとし、世界自然遺産登録地屋久島の屋久杉、郷土球磨人吉の千年杉市房杉をはじめ、日本、世界の銘木を収集してきました。
また、球磨人吉は九州内陸の険しい森林に囲まれた盆地という地理的なことや中世から明治維新までの825年近く相良家(藩)の長い統治があり“日本の木の文化”を色濃く残す地域です。
例を挙げるならば、国宝 青井阿蘇神社や日本遺産認定登録の数々の文化遺産です。
他にも、青蓮寺隣地(多良木町)・市房山源流水名水基地(水上村)・とどろきの滝(人吉市大塚地区)など球磨人吉の“文化遺産”“自然遺産”を藤田㈱が所有する不動産資産があります。
【神城文化の森】の文化事業を起業した理由には、“球磨人吉の文化・自然遺産”と“日本の木の文化”を次世代に継承することにあります。
継続的な運営が経営上難しいとされる文化事業を持続可能な運営をする為、3つの支柱を中心に運営をします。それぞれの運営は、独立した運営をすることで民間、行政など関わりの必要な横の連帯が可能になり、地域活性化にも貢献ができると考えます。
例えば、 “日本の木の文化”をテーマに各市町村を点と線で結び、1つのストーリーにまとめ観光シンボルとしての役割も担うことになります。
地域づくり委員会
第2回
2011年(平成23年)4月2日(土)
近年、国宝青井阿蘇神社から【五色の龍神】が400年の時を超え現れました。 相良20代藩主長毎(ながつね)公が青井阿蘇神社の守り神として、天井裏に安置されたと伝えられ ています。 【五色の龍神】は、青龍(木・東)、赤龍(火・南)、黄龍(土・中央)、白龍(金・西)、黒龍(水・北) を表し、青龍・赤龍・白龍が“昇龍”、黄龍・黒龍が“降龍”の姿で形作られ、大自然の循環を意味して いるといわれています。
球磨人吉の自然環境を大切に、そして恐れ、その思いを形にしたと思います。 長らく400年ものあいだ、青井阿蘇神社の天井裏に安置された【五色の龍神】が、現代に姿を現した のは、偶然ではない様に思えます。 球磨人吉の地域づくりは、企業の誘致や近代文化の歓楽を満たすことではなく、自然を見直し、 もっと大切にすることのように思えてなりません。 日本人が日本人らしさを見失っていない今、すべきことだと思います。
平成8年2月25日、有志8名の方々と民間、行政などの垣根を超え「球磨人吉の未来」「地域(まち)づくり」を考える『神城文化の森懇談会』を開催し、球磨人吉を一つにして地域づくりを行う考えを持つようになり、そこから民間の立場でできる文化事業や社会貢献の様々な展開を“神城文化の森”を中心に行って参りました。
平成23年から《球磨人吉地域づくり委員会》を立ち上げ1~9回の委員会実施して「日本の木の文化」「自然環境保全」「球磨人吉の様々な文化遺産」を次世代に継承し、地域(まち)づくり、球磨人吉の地活性化を地元選出の国会議員、熊本県議、球磨人吉の十市町村や民間有志と取り組んで参りました。この様な取り組みは、民間から発信する【新しい公共】と呼べるものではと思います。10回目を令和2年12月までに実施予定です。
また今後、弊社の世界自然遺産登録地屋久島・屋久杉を展示する藤田美術館を鹿児島県内にて将来建設したいとも考えております。
これまでの地域(まち)づくり・地域活性化の活動により、内閣官房から『地域活性化伝道師』の拝命を受けました。
事業家としての55年間の集大成事業として、球磨人吉を一つにして「日本の木の文化」「球磨人吉の文化遺産」「自然環境保全」を次世代に受継ぐ事業計画を致しました。行政と民間、市町村など垣根を超えた事業が【新生相良藩】のような枠組みで展開できることを望みます。
世界自然遺産登録地屋久島・屋久杉
上田 隆穂 先生・藤田 勲 屋久島へ行く
(3日間見学) 屋久島町役場の方2名にご案内いただきました
世界自然遺産登録地 屋久島 屋久杉 縄文杉 樹齢7,200年 他 見学
〈平成30年2月26日㈪〜28日㈬〉
世界自然遺産登録地 屋久島 屋久杉 縄文杉 樹齢7,200年を前に撮影
№2 神城神社 お城 相良810年歴史資料館 人吉神城文化の森ミュージアム巡り ひなまつり会場3館
№3 サンロードシティ錦町開発 最大級のまちづくり 日本でここまで大きな開発は当時初 サンロードシティSC起工式 平成4年7月20日
№4銘柄元相良藩十代目焼酎 人吉神城の宿 人吉神城温泉家族風呂
№5 中国貢献・万里の長城植樹祭 ラオス貢献・学校建設22校 ラオスフェスティバル ラオス人民民主共和国ケントン・ヌアンタシン駐日特命全権大使歓迎会
№6 東北復興支援活動 東京大学・京都大学・学習院大学にて講演 人吉消防署マイクロバス寄贈 錦町へ寄付 屋久島サッカー教室 ロアッソ熊本スポンサー活動 熊本地震復興祈願活動 加藤清正公銅像熊本県へ贈呈 木の売店
№7隈研吾様と藤田勲№1 平成31年2月17日(日)令和御大典寄贈式典 令和元年6月15日(土)
№8 隈研吾様と藤田勲 №2青井阿蘇神社寄贈材視察 令和2年2月28日(金)藤野 英人様 ご来社 令和2年2月2日(日)
№9 屋久杉の公売市場 鹿児島木材銘木市場 林野庁官賞受賞 茨城県知事賞受賞 希木天地ブランド №1 屋久杉 市房杉 銘木
№10 希木天地ブランド№2 経済産業省クールジャパン 経済産業省マッチンググランプリ 神城文化の森の家 製材(小松、柞木、ヤトミ)ごあいさつ(55年間の集大成)